三殿台遺跡の歴史

 ここでは、遺跡の説明をちょっと(?)長く説明したいと思います。
 そもそも三殿台遺跡とはなんじゃ?みたいなんでこの遺跡の由来から話そうと思います。
読み方は「さんとのだいいせき」と読みます。
 この遺跡は、昭和38年に保存が決まり昭和42年1月31日に横浜市三殿台考古館として
開館しました。

←この写真は、発掘当時の三殿台遺跡











 三殿台遺跡は、東京湾に面し東西に連なる標高50Mほどの丘にあり、小高い平坦な部分にあります。この近くには広範囲にわたって貝塚があり、明治40年頃から研究者の注目をあびていました。しかし、注目はされるが大規模な発掘はなく、昭和30年代になって、横浜市史編集にあたってこの遺跡を調べてみると弥生時代や古墳時代の遺物が発掘されていきこの遺跡の重要性が立証されました。

←これが今の貝塚跡。何もない・・・

↑看板があるだけ・・・
 さらに、昭和36年の夏、全体の発掘が行なわれて、250戸を超える竪穴式住居跡や膨大な遺跡が発掘された。それにあたって昭和38年に遺跡の永久保存が決まり、昭和41年4月2日に国の史跡に指定されました。
 その後、台地の北側に「横浜市三殿台考古館」とともに一般公開されて来ました。

〜集落について〜

 三殿台遺跡はとくに弥生時代の住居跡が多くありました。なかでも、直径10Mは超える比較的大きな住居跡が数多く見つかり、この一帯の中心的な集落と考えられてきました。

←これが直径10Mを超える住居跡。







〜出土品〜

 ここの遺跡からは、ここに住んでいた人達がどうゆう風に生活していたか判る物が数多く出土してきました。
(写真は「ギャラリー」にあります)
 焼き物や木を切るためや削ったり彫るための打製、磨製の斧など、さらに戦闘に使ったと思われる石剣なども発掘されました。


〜住居の構造〜

 発見された住居跡、すべてが竪穴式住居だと考えられています。
もっともふるいのが縄文時代のもので土器を埋めて、炉のようなカマドを作っていました。
弥生時代は、炉は素堀りされた形で卵型をした楕円形をしていました。
さらに古墳時代では粘土で築いたカマドがありました。
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